2009年1月17日土曜日

世代間倫理

何か急に書きたい気分になってきた(テストやレポートが近づいてくると必ずこのように・・・(爆))ので、ちょっと頭の整理という意味でも書こうと思います。

実家に帰った時、母親がいとこで早々結婚してしまった女の子について話していた。
簡単に言うと、旦那さんが一生懸命働いて夜遅く帰ってくるのに、食事も作らず、家で自分の赤ちゃんと一緒にだらだらとお菓子を食べているそうだ。
赤ちゃんも母親も痩せており、赤ちゃんの方は低体重ぎりぎりだと。
(ちゃんとお説教はしたみたいではあるw)

ここで、考えられるのはその女の子への批判だ。どうして母親としての責任を果たさないかのかという・・・「躾が悪い」だの何だの、そういう話が出てきそうな気がする。

ただ、
多分親など(独り立ちするまで)上に立つ立場にいる人は、面倒を見られる側の人間が自分の意志で何にでも成れるようにサポートすべきではないのかなと思ったりする。
今回の話で言えば、低体重に近い状態でいる、夜遅くまで働いている、そのことに対して今のままでいいのかっていうことだと思う。
年末にサークルのOBの方とお話したことを持ってくれば、面倒を見る側が見られる側の権利や自由意志を尊重出来る環境にしないと、これまでちゃんと育って自分が生きてきているのにfairじゃないってことになるのであろうと。
結局は、対象が不利益を被らないような倫理観さえあればいいんじゃないかと思うのである。

下宿先にテレビを置いていないからわからないが、多分不景気だからといって、ばら撒き政策をやって経済を立て直そうということが行われようとしているであろう。
ここで、いつも気になっていることがある。
どうして、そこまで国債を発行しても平気なんだろう・・・
毎年借金がたまっていて、そのツケは自分たちの子どもや子孫。将来の夢や希望を削って、今だけいいとこ取りしているように見えてしまう。
今までの繁栄が借金の上に成り立っていたというのなら、心穏やかにもならなくなってくる。

皆さんはそう思うことってありませんか??

ウルトラ改めWindows 7

ふと思い立ち、最近リリースされたWindows 7のβ版を新しいデスクトップにインストールしてみた。

ところで・・・ウルトラマンセブンでもないのになぜセブンなのか?
それは、ちょうどWindowsの7番目のリリースだからなのだそうだ。。

そんな話はさておき、まず、
http://crazy-man.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/windows7-ec99.html
で得た情報を基に、microsoftでダウンロードしたisoファイルをDVDに焼く。
それと並行して、デスクトップのDell Inspiron530に新たに買った、500GBのHDDをつけてみる。

そして、CDから起動して案内に従って作業を行う。若干英語の表示があるものの、かなり容易にインストール完了!

起動時のWindowsのロゴマークが今まで見た中で一番洒落ていた。
使い心地は、パネルがVistaよりも扱いやすい感じになっていていいと思う。

それから・・・
驚いたことに、HDDがやられていてリカバリも出来なかった友達のパソコンに冗談で試みたら、ちゃんと動いてしまった。もちろん、エアロの機能もないし、パフォーマンスを測ったら、2つあるグラフィックスの評価が両方とも最低の1.0であったがw
Netbookにも対応させようとして、低いスペックでも大丈夫ということなのかなあ・・・
Vistaをメモリ規格がDDR世代のパソコンにインストールしたことなどないので両者の詳しい差は分からないが。

今年の8月1日にサポート?が切れるまで、使っていこうかな。

2009年1月6日火曜日

人間って

京大の友達と、久しぶりに会ってきた。一年と四ヶ月ぶりの再会といったところか。

総合人間学部で、脳科学ではなく人間科学的なアプローチをしたいと言っていた。
やり方は違うが、同志はいるものである。

彼の話を自分が解釈すると(間違っていたらすいません)、理系的因果関係に捕らわれず、もっと違う側面からも脳を解明しようとしているらしい。今現在主流である、デカルト的方法論(機械論・唯物主義?すべての人間の行動をニューロンの発火に帰着させようとする)から離れて、仮の第三者が自分の他に存在して、それを行動の説明に用いるといった感じのことを研究しているという。
いろいろ研究室の説明を聞くうちに、高校時代にかじった倫理の知識を紐解いて「ヘーゲルの止揚みたい」と言ったのだが、デリダの脱構築により近いという。当然と思われていたところから矛盾点を洗い出すかららしい。

自分のパソコンの分解話から始まったトークであったが、後半は密度が濃いものになった。

今日は一限から授業だ・・・冬休み中の夜更かしの癖が抜けない。

2009年1月5日月曜日

4年ぶりの再開@同窓会

高校の同窓会に参加してきた。
埼玉県にある男のシンクロを考え出すような、変わった高校である。
(ちなみに自分はそこでプールが見える化学部に所属していた)


一次会、先生も見え、刺激的なトークが繰り広げられた。過去の遅刻の常習犯などをあげつらう、腹黒い先生も(笑)みんなの反応がポジティブで受けていたからいいのだがw
冒頭に主任の体育教官の先生からのお言葉のとき「みんな正座で!」と誰かが言う。
みんなもそれに乗り「正座に」
ノリがいいのは好きだが、集団心理のすごさを実感。

二次会、何もかも分からなくなるようなカオスな飲み会に。
コールの嵐の後、カラオケが始まる。
それと共に上半身脱ぎだす輩が。
脱がないほうが非常識という雰囲気になる。
まるで、自分のサークルのダンパのようである(笑)
ノリがいいのは好きだが、集団心理って・・・

2009年1月1日木曜日

年賀状 by OpenOffice























あけましておめでとうございます。見てくださっている方、今年も宜しくお願いします。
上は、フリーの文章ソフトであるOpenOfficeでつくった年賀状です。

ネット上にある情報を参考にしてつくってみました。
大まかな流れは
挿入→画像
で写真を貼り付け
挿入→枠
で文字を書ける枠を作りました。

写真は、去年の5月上旬に行った、スウェーデン第二の都市であるGoteborgの世界貿易センタービルから撮ったものだったと思います。

有料の年賀状ソフトもある中、フリーソフトで年賀状を作れるというのは、とても意義深いことであると思います。

研究室の先生から薦められた本「未来を予見する『5つの法則』」にも書いてあることですが、無料になるとより多くの人が利用出来るようになって、量が質にとって変わる。そして、ブレイクスルーが起きるようになると。

年賀状を作るにあたって、Wordさえ使わなくても良いというところも、OpenOfficeの売りの一つでしょうか。

ボランタリー経済の広まりを予見させる、そんな一コマです。

元旦マラソン

今日の夕食はすき焼きだった。
母親が調理していて言う。「卵は貰い物だけど、生のままつけて食べていいでしょ?」
いやいやいや。無理。もし中ったらどうすんだ。正月中ずっと倒れてたらどうすんだ。
ふと、家に来た中国人のおじいさんが生卵を決して口にしなかったことを思い出す。
「世界で一番胃袋が強い中国人(本当か)でさえ、衛生が保証されていない生卵は食べないんだから。」
況や日本人をや・・・ってことで、買いに行きました。卵を。

ダッシュすれば、往復15分かからないとみていたのに、「閉まってる・・・」
そう、近所のスーパーが閉まっていたのだ・・・
帰ろうか・・・いや、帰る事は出来ない。食べて起こす腹痛よりは、走って腹痛を受ける生き方をしたかった。
仕方なく、国道254を下り方面へ「走る」。腹痛より先に、寒さのあまり耳が痛くなる。
車がうらやましかった。やっとのことで、コンビニについて卵を購入。

帰り道はショートカットぉ。国道から外れ、山道を通る。しかし、地元が田舎過ぎたため、照明がなく足元さえ見えない。
夜道の怖さを改めて実感する。

ついに家に到着。家の照明が眩しい。その後、すき焼き。いや、でも、疲れた。

2008年12月28日日曜日

理念国家アメリカ

「クラブのOBの方がいらっしゃる集まり」で知り合った方とお会いしてきた。

その方は若い人と話したいそうで、自分なんかを招いてくれたという訳である。自分が若者を代表している(and/orできる)なんて、微塵も思っていないが、とりあえず思うところを意見交換した。

まだ咀嚼せずに書いてしまうということに対して、躊躇や抵抗が無い訳ではない。物議を醸しうる分野でもあるし・・・まあ、考える題材が多い方が人生が豊かになるってことでw 因みに中身はかなり固い(笑)

このお話は春に自分が1ヶ月間短期留学をすることを見越して、新たな視点を与えてくれたのだと思っている。
なお、自分の理解不足や勘違いによって、違うことを書いている可能性があることを予めお断りしておきます。。

内容については、アメリカの国家理念、英語の必要性、そして最後にはアメリカであったウソのようなホントの話を伺った。
(その方によると
なぜ、アメリカか? 超大国アメリカが・・・という論調があるが、これは超大国が出来るまでのプロセスをまったく省いたものであり、妥当ではない。fairだったからこそ、あれだけの力のある国になった。何かと問題になる核兵器であるが、何故アメリカが一番最初に持つようになったのかという理由は、亡命した科学者がfairな国だと思ったからである。)

まず、アメリカ人はfairを重要視(というか大前提に)する。国の前提が、理念(自由とかそれこそここでいうfairとか)の元に集合を呼びかけた国家であるから。彼らにfairでないということが一番の侮辱であり人格否定にまでなるのだと。
ここでのfairという意味は、文字通りに平等であるという意味の他に、あるべき状態に対して、曇りなく達成できているということも含まれているように感じた。
例えば、日本がGHQに占領された後に作られた、日本国憲法。ケーディスという中心に作成した人がいる。彼は、部下から日本が軍国に戻らないように憲法の一部を未来永劫書きかえられないようにしようと言われた。その時の返答が「全力は確かに尽くした。しかし、人間は神では無いのでimperfectであり、後々、もっと優れた人物が出てきたときに、変えられないと良くない」ということで、憲法固定化ということには現になっていない。無条件降伏している国に対して、ちゃんとその後でも、立ち上がれないようにするのではなく、謙虚に取り計らうというところこれがfairなのだと評価していた。
それに、そのfairという概念をもって物事を見れば、単に「利害関係」をも超えたちゃんとしたあるべき姿が見えてくるというのも語っていた。

英語の必要性については以下の数点に分かれる。
英語は欧米の概念の理解を深くするのに必要。例えばdoubt(~ではない~ではなさそうと思う)とsuspect(~ではないかと疑う)の言語的背景を知っていることによって、アメリカの刑事裁判におけるbeyond reasonable doubtというものを初めて理解出来るそうである。
シンプソン裁判(存在を知らずに後でググりましたw)の裁判はおかしいと一般の論調では言われているが、それは違う。上のfairの話も絡んでくるが、刑事裁判は一点の曇りが無くクロと出ない限り、無罪にする。裁判員(一般人もアメリカの政治制度では陪審員として参加すると聞いた)は多分彼がやったと思っていたという。しかし、後に無罪の人に死刑を言い渡すという最大の過ちを起こさない可能性が無いとは否定できないので、本当に涙を流しながら「無罪」。涙は被害者の無念を思ってのこと。感情に流されずにfairであろうとするところに感心したという。
これとはまた違う話で、publicの訳はおかしいという。訳すなら、江戸時代から存在した「皆の衆」という言葉のように、public = 衆 とならないといけない。しかし、そうではなく公である。公の意味は「御公儀」で民を支配しているお上から発せられるものという意味合いもあるらしい。公務員が衆務員に名前を改めないと変わらないのではという考えをもたれているようだった。

それから、自分の意見(この段落だけだが)として、英語圏に対して教育を受ける機会を相対的に減らさないためにも、英語は本当に大切だと思っている。この3つ前のspeechの内容と重複するところがあるが、世界の有名大学の授業というものがどんどんInternet上にアップロードされている。ネット環境があれば、今まで教育の受ける機会の無かった誰であろうと世界の名だたる授業を受けることが出来るのだ。ただし、『英語』で・・・
確かに日本語のコンテンツもアップロードされている。しかし、質・量共に英語のものに比べて低いと云わざるを得ない。つまり、一般人が英語で授業を理解できない限り(偉そうな事を書いているが、自分も大して英語力が無いので大きな事を言えないのだが)、英語圏や英語を理解出来る人たちと比べて学力に差がついてしまうのである。これは、技術立国である日本にとって死活問題であるように思う。



アメリカでの面白いエピソードは以下のようなものである。

それは、ニューヨークのマンハッタンに暮らしていた80年代の冬の日。
住まいの近くには、ガソリンスタンドが一軒しかなかったそうである。そして、そこの店員が・・・
ガソリンを入れるため、車を止める。
?? なのに出てこない。 寒いから嫌らしい。
出てこいと手招きすると、渋々あからさまに嫌そうに出てきて"What?"
(店員が「何?」って、おい!と突っ込みたくなるw給油しに来たのに・・・)
「車を満タンにしろ!」というと"No!"
おつりの小銭を払うのが面倒だから(笑)

パン売り場でジャム入りパンを頼んだら、どれか分からないので、潰して確認してから
"It's jam☆"と売りつける販売員もいたらしい。そりゃ、買えんだろ・・・

更には、スーパーで同じものを10個買ったとき、レジが適当で、11個買ってしまったことになったそうだ。
普通は謝って、10個にしてから処理すべきところを、「もう一個買って!」そうすれば"Everyone is happy♪"になるらしい。そりゃ、あんたはね・・・

とまあ、アメリカはピンキリまでいる面白い国であるそうだ。(自分もそう思うけど・・・w こんなケースは幸い春の一人旅では出くわさなかった)

でもまあ、fairの話にしろ、そうでない話にしろ理念があるところに道は拓ける思う訳ですよ。その中でアメリカが「世界の実験場」として機能しているのは意味があるのではないかと。今はサブプライムローンに端を発する(曰く、そもそもサブプライムは貧しい人もちゃんとした家を持てるように、つまりfairを実現するためにとられた措置という)金融恐慌で、その実験場は上手く行っていないが、そのfairの考え方ある限り、アメリカは息を吹き返すだろうというのがお考えでした。今使ってるInternetにしろGoogleにしろ、開発費が高すぎてリスキーなCPUにせよ(今使ってるのはbaniasで旧式だけどw)、全てアメリカ発であることを考えると、そのOBの方のお話には共感すること大でした。

因みにHOCのタイトルが気になってる方がいらっしゃるようですが、これには自分の理念チックなものも入れ込んだつもりです。暇な方は考えてみてくださいな。