2009年7月4日土曜日

思考のホットスポット

昨日(正確にいえば一昨日)、春に文化交流で留学していたときの友達に会ってきた。
日本人の彼は、近年減少傾向にあるアメリカの一流大学の中では稀有な存在である。
2年前期には卒業分の単位を取り切り、なおかつ得意なコンピュータ科学以外を専門にしようとしているそうだ。

矢上キャンパスを案内する。
2限の授業の様子を見て「何が言いたいのか良くわからない」
学生が授業の話を聞いているように見えないことについても、多少なり衝撃を受けていたみたいだった。 
訪問研究員のKさんしか来ていない午前の研究室で、研究内容についておおざっぱに説明する。
興味は持ってくれたようだ。

午後は、三田に移動。日本の若者文化を知りたいという希望により、春にStanfordに行ったメンバーのうちの2人とそのメンバーの彼女で渋谷と秋葉原に行くことになる。
渋谷ではTSUTAYAに行き、アニメなど日本のサブカルチャーの影響力を確認。
秋葉原では、萌えの聖地に初めて足を踏み入れたりした。集団が集団なので、英語が話せるメイドを指名。ドイツ人の方が担当となった。飲み物をおいしくするために「モエモエ、キュ~」といっていたのが印象的だった。帰りはDANKEと。(ドイツ語分かりません・・・)

カップルの2人は先に帰り、残った3人でラーメンを食べる。
慶應からの参加者の一人は、店の定員でも友達になってしまい、サンフランシスコを案内してもらうくらいコミュニケーション力に長けている。
最近は日常をどう違った角度から捉えて意味のあるものにするか、考えているらしい。単純に人の誕生日を覚えるだけでも、違った見方が出来るんだとか。今までは、出来るだけ変な経験をしようとしていたが、日常の中の非日常を見つけようとしているという感じがした。
GAでいうと広域探索以外にも、局所探索の方法を改善しようとしていることになるのであろうか。

オタクの街で、3人の会話はヒートアップする。
いつの間にかテーマは日本についてに移っていた・・・
「日本人は少なくとも僕より勤勉だと思っていた・・・」という彼の言葉を聞いた時、むず痒い気持ちになった。
日本人の特徴にも話が及んだり、就職や社会構造の社会的背景など普段話す機会がないようなことも話し合った。


2人と別れ、山手線に乗りこみ会話を振り返って考える。線路も思考もループする・・・

グローバリズムが進行する中、少なくなっていくパイを奪い合うしかなくなっている状態が続くのであれば、国として良くないのではないかと。
今の日本のシステムは、多分インターナショナルまでなら有効だったと思う。
すなわち、縦割りのヒエラルキーがそれぞれの国に存在する場合である。
この場合、会社の機能自体はそれぞれの国が独立に持っているので、会社の構成要員一人ひとりは、世界の情勢なんてものを考える必要がなかったのだ。一部の重役が、向こうの重役とコンタクトを取れれば十分ということであったのだろう。
ところが、高度な情報社会となり、パンドラの箱が開けられた今、例えば技術者レベルでさえ英語によるコミュニケーションが必要になったりするようになっている。構成分子全てが、インタラクティブに全体と情報のやり取りを行う。こんな時代が来ているのだ。

それなのに、就職偏差値や安定志向から、企業選びをする人が多いと聞く。
激動の時代に加え、少子化で小さくなっていくパイを争奪するというネガティブな因子がある中、この選択は果たして良いものなのか、大学院進学という猶予期間が与えられた自分の頭に疑問がよぎる。

思うに、これから必要なのはコンセプトを創る力だ。ものに価値づけを行えれば、常に先に行けるので、例えばメモリや液晶パネルのように簡単に追随されないだろうし。

そもそも、日本という国という概念自体に固執する考え方自体が、古くなっているのかも知れない。でも、成田空港に帰った時の何とも言えない安堵感、コンビニの店員の細かな配慮などを見るとき、日本の良さを実感するともに、国としても「輝き続けて」欲しいと思うのである。